天主堂巡礼 堂崎天主堂 長崎県五島市/県指定

    

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聖ヨハネ五島

秋晴れの日、木造の聖堂としては最大の規模を誇る鉄川与助設計の水ノ浦天主堂をたずねてから、堂崎天主堂(長崎県指定文化財)へ向かった。福江市から奥浦湾ぞいに海と山の織り成す風景の中を行くと、入江に影を映してゴシック様式の天主堂が立つている。

堂崎は五島列島で最もよく知られている天主堂であるが、堂内にはド・ロ聖教木版面やアルメイダの手紙など五島力トリックの歴史をしのぷ遺品が展示され、キリシタン資料舘となっている。

五島ヘキリスト教が伝えられたのは、第18代藩主宇久純定が、1566年にポルトガル人修道士ルイス・アルメイダと日本人修道士ロレンソを招いたことに始まる。10年後には五島全域にわたって信徒が増加したが、1587年の禁教令によつて教会が破壊され、迫害を逃れたキリシタンは長い潜伏の時代に入る。

1865年、プチジャン神父によつて、長崎の大浦で藩伏信徒が発見されてから、堂崎は、五島キリシタン復活の拠点として、五島におけるヴァチカン的な役割を果たしてきた。現在の聖堂は、パリ外国宣教会のペル神父によつて明治41年に建造された五島初の煉瓦造りで、日本26聖人に捧げられた。

1597年、秀吉の命により京都や大阪で捕らえられた外国人宣教師6名と日本人信徒20名は、1月9日堺を出発し、2月5日長崎到着までの28日間にわたる厳冬の旅の終わりに、西坂の丘で十字架にかけられた。

この事件が、日本におけるキリシタン殉教の始まりである。その後、西坂ではおよそ1000人もの殉教者が血に染まつて行つたという。日本26聖人のひとり、聖ヨハネ五島は、大阪で捕らえられ長崎への苦難の道程に耐え、19歳の若さで殉教した。

以前は浜木綿の花が咲いていたという天主堂付近の浜辺では、雑草が秋の風に吹かれて揺れていた。
   
07/10/19 *istDS2

   


   

[天主堂巡礼]