天主堂巡礼 馬渡島(まだらしま)天主堂 佐賀県鎮西町馬渡島

   
天主堂馬渡島.jpg (53798 バイト)
     島の神父さん

 馬渡島へ渡る船は、呼子港を朝10時に出
る。北九州から、福岡・唐津を経て呼子まで
は車で3時間ほどかかる。自宅を6時に出発
して9時すぎに呼子港へ到着。すでに船への
荷物の積み込みは始まっていた。

 定刻に出航した連絡船は、一路馬渡島を目
指す。走ること30分、馬渡島の港に着く。
港の近くには仏教徒が住んでいて、平戸や外
海から移住してきたキリスト教は、山の上を
開墾して住み着いたという。

 町役場から送ってもらった地図を頼りに、
天主堂への山道を辿る。島の人たちは、聖堂
のことを御堂(みどう)と呼ぶが、その御堂
は島の東岸の海を見渡せる山の上にあって、
黄色いくちなしの実がなっていた。
 

  撮影機材を天主堂のポーチに置いて、キリシタン墓地を撮影していると、天主堂から黒衣の神父さん
 が笑いかけてきた。簡単な自己紹介をして、堂内の撮影許可を申し出ると、「後で、珈琲でもいかがで
 すか」と誘ってくださった。
 
  ひととおり撮影を終え、天主堂の隣にある司祭館へ向かう。司祭館は、民家をそのまま使用したもの
 だった。神父はわたしの父と同じ年代であり、キリスト者になったいきさつ、海外生活のこと、フィリ
 ピンでの戦争体験、布教の思い出などを、遠くを見つめるような眼で話してくださった。

  3時半の最終便に乗るために司祭館を出ると、神父が教会の入り口まで見送ってくださった。「また
 来ます、お元気で」と別れを告げ、港への山道を降りた。途中、明るく挨拶する学校帰りの少年たちに
 会った。中学を出ると、3分の1は呼子の高校へ進学し、残りは外へ出て行くという。この少年たちも
 やがてこの島を出て行きそれぞれの生活の場で、島で過ごした日々をどんな気持ちで思い出すだろうか。

  「この年になってひとりでこんな所に住んでいると、昔のことばかり思い出してしまいます」と言う
 神父の言葉が、いつまでも耳に残って離れなかった。
1991/12/2

      その後、神父が亡くなったことを同じ会社の後輩から聞いた。神父は、その後輩の叔父さんだった。
      わたしのことは、生前に神父から聞いていたとのこと。世間の狭さを実感した。
      神父のご冥福をお祈りします。

            約4年後の1995年8月19日に再びたずねたが、天主堂は修理中で足場におおわれていた。


明治18年(1885)頃の建物で、紐差教会から移築された。



笑顔で迎えてくださった神父さん。


平戸島からの移築には大変な苦労があっただろう。