天主堂巡礼 旧野首のくび天主堂 長崎県小値賀町

   


天主堂は死ぬ


五島列島の北のはずれに、1000頭以上の野生の九州鹿が生息する野崎島がある。この島へは、中通島からフェリーで小値賀(おぢか)島へ渡り、さらに1日2便の町営連絡船「はまゆう」で25分ほどかかる。

秋も深まりつつある朝、鉄川与助が手がけた最初の煉瓦造りの天主堂への期待を胸に、町役場のMさんと船に乗り込む。青い海を波しぶきを立てて進むと、瓢箪を縦に二つに割って伏せたような形をした野崎島の南側面が左手に見えてくる。以前は、南側と中央部にキリスト教徒が住んでいたが、高度経済成長期の昭和46年に小値賀島や福岡・北九州方面へ集団移住してしまい、今は港付近にわずか10数人が住んでいるだけである。

港から町役場の軽トラックで、椿の並木が続く山道を登る。道が狭くなった辺りで車を降りて、砂混じりの道を進むと急に視界が開けてくる。左手は海で、右手の斜面には石垣を組んだ段々畑の跡が広がっていて、長崎県指定文化財の野首(のくび)天主堂が海に向かって立っていた。廃屋のそばで鈍く光るものがあり、近づいてみるとご飯茶碗のかけらであった。島民が移住してから20年余、生活の痕跡は次第に土に埋もれつつあった。

天主堂の鍵を開けて中に入る。入口付近には、海からの風が運んできた砂が散らばって、ざらざらしている。鎧戸を開けると、ステンドグラスの光が暗い堂内に差し込み、天主堂が呼吸をはじめる。今は誰も訪れることのない忘れられた天主堂。かっては人々の祈りに満ちていた神の家としての天主堂がその役割を終えても、しばらくは、その祈りが祭壇や天井に染み込んでいるような気がしてならない。

日本26聖人記念館・館長のパチェコ・ディエゴ(結城了悟)神父は、著者『長崎の天主堂』の中で、「天主堂は死ぬ。その死はいつも人間とかかわりがある。育て守った信者と共になくなる。あるいは、その信者が移住したから寂しくなって滅びる。あるいは、その信者にもっともふさわしい礼拝堂を与えるために姿を消す」と書いている。


五島列島の北はずれ、野崎島の荒れ果てた段々畑の中に立つ無人の旧野首天主堂(91/10/25)

 

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旧野首天主堂には片側に4つの窓があり、4色の花模様のステンドグラスが美しい。


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天主堂巡礼]