宝満山2

ほうまんざん
標高829m

 梅雨に入り連日の雨で、なかなか行く機会がなかった。

 当日は湿度が高く、登山道は霧が深かった。
 正面登山道はほとんどが自然石の石段で、3合目付近からの「羊腸
 の道」と呼ばれる曲がりくねった急勾配の石段はきつかった。

 帰りは正面登山道とは別の道を選んだが、手持ちの地図が不十分な
 ものだったので道を間違えて、うさぎ道というルートを通って下山
 した。山中滞在時間は7時間だった。

 今回見逃したものがあるので、もう一度登りたいと思っている。
                 

  太宰府市。2016/6/21 Lumix G1

  2001年2月に三郡山へ登った際に足を延ばして、宝満山
  に立ち寄った。
  今回は竈門神社から正面登山道を登った。

  竈門神社からの標準タイムは約2時間であるが、写真を撮り
  ながらのゆっくりペースだったので3時間半かかった。



竈門神社下宮の2番目の鳥居のそばに、官幣小社竈門神社の碑。


楠の古木の間を進む。


神社をぬけて進むと内山林道の起点に鳥居があり、ここが登山口。


鳥居の左手に2mほどの大きな自然石の歌碑がある。

歌碑は、平安中期の拾遺和歌集におさめられている清原元輔の歌。元輔が竈門山(宝満山)の麓に宿泊した折に読んだものである。
春はもえ秋はこかるるかまと山 霞もきりもけふりとそ見る (春は萌え秋は焦がるる竈門山 霞も霧も煙とぞ見る)


登山道の右手には塩井川が流れていて水音が心地よい。登山道に入ってすぐのところになめ滝がある。


内山林道を2回横断して林道終点に着く。ここからが本格的な山道。


林道終点からすぐのところに一の鳥居。1679年の建造。


三合目の手前付近から「羊腸の道」という曲がりくねった石段が続く。


三合目の休み堂跡付近には中世の有智山城(うちやまじょう)跡がある。


羊腸の道をさらに登ると五合目付近に殺生禁断の碑がある。鳥獣の狩猟や樹木の伐採を禁じたものである。


六合目の吉田屋敷跡を過ぎると急な石段「百段がんぎ」があらわれる。
がんぎとは雁木と書き、階段状の構築物のことである。
百段がんぎを登り切ると平坦な場所に出る。
ここは西院谷。「閼伽(あか)の井」という湧水があり、右手の広場奥に石の構築物があった。


閼伽の井。



閼伽の井の先に1798年造立の芭蕉句碑。世の人の見付けぬ花や軒の栗


句碑の少し先にある平坦な場所は中宮跡。竈門山碑が立っている。


中宮跡の祠。峰入りの時にはここで勤行が行われるとのこと。これから先、霧が深くなっていた。


祠の裏の大岩には梵字が刻まれている。1318年の銘があり約700年前。
梵字岩のすぐそばで道は三方に分かれる。
左が山腹を巻くように登る羅漢道、右が東院谷やキャンプセンターへ続く緩やかな女道。真ん中の男道を進む。

この先に、益影の井という湧水、仙竈岩、亀岩があるはずだが、霧が濃くて見落としたようだ。
霧の中を進むと、頂上直下に袖すり岩と馬蹄石があった。


大岩の間は袖が岩にすれるほどの狭さ。


岩の上に馬の蹄の跡のようなくぼみがあるというが、よく見えない。


宝満山頂の竈神社上宮は大きな岩の上に建っている。


社殿の裏に宝満山上宮碑。


社殿の北にある礼拝岩。肇祉(ちょうし)と刻まれている。
幸せが開き始める、という意味らしい。


三郡山方面への降り口。キャンプセンターを経由して女道から下山するつもりだったが、勘違いして、うさぎ道を通ってしまった。


山頂直下から山頂の土台になっている巨岩を見上げる。

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