宮本武蔵の旅
終焉の地・熊本
◆細川家の客分として迎えられた熊本
武者返しの石垣の上に立つ大天守と小天守のバランスが美しい。
94.1.2
武蔵が住んだのは、熊本城の東、千葉城址の一角であった。ここからは熊本城の天守閣が見える。
武蔵は、ここで、「五輪書」の基礎となった「兵法三十五箇条」をまとめて、城主細川忠利に献上した。
豊肥本線「武蔵塚」駅。
02.6.15
◆鳥越峠
2002.6.15
熊本城下から金峰山の麓にある雲巌禅寺へ行くには、芳野の鳥越峠を越える。
ここは、夏目漱石の『草枕』に出てくる「峠の茶屋」があったところとしてよく知られている。
明治期のものではないが、茅葺きの茶屋も残っている。
武蔵がこの峠を越えたのは1640年頃、当時、峠に茶屋があったかどうかは定かではない。
「おい」と声を掛けたが返事がない。
軒下から奥を覗くと煤けた障子が立て切って
ある。向う側は見えない。五六足の草鞋が淋
しそうに庇から吊されて、屈托気にふらりふ
らりと揺れる。下に駄菓子の箱が三つばかり
並んで、そばに五厘銭と文久銭が散らばって
いる。
夏目漱石『草枕』より
峠の茶屋のおばあちゃん、
島津喜代子さん。
島津喜代子さんが、茶屋をおとずれた人たちとの心のふれあいを書かれた『峠の茶屋のおばあちゃん』
出版:クリエイト・ノア(熊本市)定価:1000円
峠の茶屋の電話:096-277-2157
◆『五輪書』を執筆した雲巌禅寺
2002.6.15
武蔵が「五輪書」を書き始めたのは寛永20年(1643)、亡くなる2年前のことである。
そして、正保2年(1645)5月20日、死に先立つ2日前に「五輪書」を門人にあずけた。
霊巌洞は深山の趣きがあり、武蔵が見た風景が今も残る。
武蔵はここにこもり「五輪書」を書いた。
霊巌洞は金峰山一帯の火山の噴火によってできた。
金峰山の麓に雲巌禅寺はある。 雲巌洞内の石仏。
◆西の武蔵塚・泰勝寺跡
2002.6.15
熊本には武蔵の墓石が3ヶ所にある。
ひとつは、島崎町の寺尾家の墓域にある巨岩で、「玄信居士」という文字がかすかに読み取れる。
しかし、これが武蔵の墓石であるという確証はない。
二つ目は、細川家の墓所がある泰勝寺跡。
「時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」という時世の歌を遺した細川ガラシャをはじめ、
細川家の堂々たる墓所の奥に、武蔵の供養塔がひっそりと立っている。
泰勝寺跡に向かう途中にある引導石は、武蔵の葬儀の際に、この石の上に棺を置き、待ち受けて
いた春山和尚が引導を渡した、と「二天記」に書かれている。
熊本市西部・島崎町の武蔵塚は大きな岩。泰勝寺跡へ向かう途中にある引導石。泰勝寺跡の供養塔。
◆東の武蔵塚
2002.6.15
三つ目は、大津街道沿いにある。墓を中心に付近一帯は「武蔵塚公園」として整備されている。
熊本の人たちの武蔵への思いが伝わってくるような美しい公園である。
武蔵が甲冑を着、太刀を持ったままの姿で葬られているといわれている墓石には、「新免武蔵居士
石塔」と刻まれている。
このあたりは、武蔵塚と名付けられたものが多く、JRの最寄駅も武蔵塚である。
武蔵の生誕地にある宮本武蔵駅と、終焉の地熊本の武蔵塚駅とは今はレールでつながっている。
公園の奥にある武蔵塚。右手の石碑には「独行道」の文章が刻まれている。
公園に立つ武蔵像。
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