この葛城山麓で古来栄えた王朝――葛城国家といっていい――が、その後大和盆地で成立する天皇家より当然古いという印象は、あくまでも印象だがどの古代史家も否定はできないであろう。
その葛城古代国家の村々が、葛城山麓に点々として残っている。「国つ神」の村々である。
「記紀」では、天つ神の子孫(神武天皇や崇神天皇)があとから大和盆地にやってきて先住の国神の部族を平定したのだが、その古い集落が、葛城の神々をいまなお祀ってまりの杜を護持しているというのは、当然といえば当然だが、なにやら歴史の可笑しみのようなものを感ずる。
その葛城の神々を訪ねよう思い、まず地図をひろげてみると、葛城山麓をひとすじの古道が走っている。「大和街道」といまの地図には書き込まれているが、新しい名称であろう。ここでは葛城みちと呼ぶ。
司馬さんは、葛城みちのすぐ北、當麻町竹内で少年期をすごした。
司馬さんにとって、葛城は慣れ親しんだ場所ではないだろうか。
司馬さんが、葛城山麓の神々を訪ねるために葛城みちを歩いたのは、
1970年か1971年の3月ごろではないかと思う。 |

猿目集落の道の真ん中の大きな石
に刻まれた六地蔵。室町末期作。 |