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| 寅さんが歩いた風景 第16作 葛飾立志篇 |
山形県寒河江市、静岡県沼津市 |
東北から上京してきた女学生・順子(桜田淳子)は、寅さんに会うなり「お父さ
ん」と呼んで仰天させるが、これはかつて寅さんが順子の母にいくばくかの経済
的援助(ときどき500円送金)をしていたための誤解だった。
順子の母は、学問がないため男にだまされ、それを嘆きつつ他界した。寅さんは
順子の母の墓参りに行き、寺の住職から学問の尊さと大切さを説かれ、寅さんは
すっかりその気になる。
折から、″とらや″には御前様の親戚で考古学者をめざす礼子(樫山文枝)が下
宿した。寅さんは、礼子に勉強を教えてもらい、楽しい日々が続く。礼子は、五
十歳を過ぎても一人暮らしを続けている学者の田所(小林桂樹)を恩師として慕
っていた。
田所は礼子に好意を寄せていて、礼子に結婚を申し込む。結婚をするか、考古学
の道をあゆむか、礼子は悩んだ末に、考古学の道をあゆみたいと、田所に結婚を
断る。礼子に対して、ともに失恋した田所と寅さんは旅に出る。 |

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<田所から礼子への求婚の手紙>
ひとり静かにもの思いにふける時
私はこれまでの生活を思い浮かべる
あゝ どんなにか多くを求めて
失敗を重ねて来たことか
苦い経験 無駄に費やした時間ばかりが
思い出され
私の胸は悲しみに閉ざされ
涙が溢れてくる
だがそのような時
君のことを想えば
おゝ 愛する君よ
私の心は慰められ
悲しみは消えてしまうのだ
礼子 君
田所
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■山形県寒河江市 01.5.30 関連ページ古寺巡礼/慈恩寺
修学旅行で東京へ来た女学生・順子に、順子の母が亡くなったことを告げられる。
しばらくして、寅さんは順子の母の墓参りに行き、「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」と、
学問の尊さ説く住職の言葉に感動しながら、夕暮れの道を帰って行く。
ロケが行われたのは慈恩寺。
746年の開基で、国指定重要文化財の本堂をはじめ、三重塔、薬師堂、仁王門などが立ち並び、
東北地方を代表する古刹である。
住職と寅さんが会話した寺は慈恩寺の華蔵院で、通りからすぐに石段がのびていて、右手に大きな
木が立っていたが枯れたのか切り株になっていた。

石段下から見る華蔵院。寅さんは仁王門の前をとぼとぼと歩く。江戸初期に建造された本堂。
■静岡県沼津市 02.9.25
ラストシーン。田所教授と寅さんが海沿いの道を歩いている。
正月の客でにぎわうはなやかな港。海のむこうには富士山が見えている。ふたりは船に乗る。
ロケが行われたのはあきらかに西伊豆。連絡船が出ているのは、大瀬崎と三津浜。
大瀬崎のロケ地を探索した人の記事を読んだが、大瀬崎にはそれらしい場所はなかったとのこと。
したがって、三津浜の可能性が高い。
三津浜に着いたときは日没後で、しかも曇り。
富士山の位置は確認できなかったが、港の地形は映画で見たものとよく似ていた。

夕暮れの三津浜の港。
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