寅さんが歩いた風景
第31作 旅と女と寅次郎 新潟県出雲崎町、小木町 |
01.6.1取材
CAMEDIA E-100RS |
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寅さんは、新潟の出雲崎から一人の女性と漁船に便乗して佐渡へ渡る。実はこの女性、演歌の大歌手・京はるみ(都はるみ)、失恋の痛手と過密スケジュールに耐えられず、新潟公演の途中で失踪
してきたのだった。
宿根木の民宿で、おばあちゃんから彼女が京はるみであることを知らされるが、寅さんは気付かないふりをして、佐渡で楽しい時間を過ごす。小木の港の食堂で休憩をしているときに、プロダクションの社長一行が追いかけてくる。はるみは、寅さんと別れて東京へと帰って行く。
寅さんが柴又へ帰ってきてしばらくして、はるみがとらやをたずねてくる。スターを
一目見ようと店の前は黒山の人だかり。はるみは、別れた相手ともう一度やり直す、
と寅さんに打ち明ける。
はるみからもらった招待券を博とさくらに渡し、寅さんは北海道へ旅に出る。羊蹄山のふもとでは、夏祭りの準備が進んでいた。 |
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ロケが行われたのは1983年。都はるみが、小木港の山本屋みやげ店に残した色紙には、「浪花恋しぐれ」と書かれていたから、この曲がヒットしていた年なのだろう。
映画の中で京はるみは持ち歌を2曲歌う。1曲は、とらやの裏庭で歌う「アンコ椿は恋の花」。もう1曲はコンサート会場での「おんなの海峡」〜別れることは死ぬよりも、もっと淋しいものなのね〜と切々と歌う。そして、寅さんが羊蹄の町をさっそうと歩く
場面でこの曲が流れ、心にしみるラストシーンとなった。 |

山田監督の色紙もあった。 |
都はるみは35歳。この頃は歌を崩さずに歌っていて、好ましく思えた。
この1年後くらいに、「夫婦坂」をリリース後一時芸能界を引退した。 |
■ 出雲崎
03.5.16取材
寅さんは、良寛堂の石碑の前で商売をするが全く
売れない。寅さんは港へ向かい、佐渡島へ帰ると
いう漁船に、はるみといっしょに便乗する。

晴れていれば、お堂の向こうに青い海と
佐渡島が見える。 |

寅さんとはるみが漁船に乗った赤灯台付近。 |
■ 佐渡へ
寅さんは出雲崎の港から小さな漁船で佐渡へ渡ったが、筆者は新潟港から両津行きのフェリーで行った。
佐渡までフェリーで2時間20分。漁船だと、どれくらいかかるのだろうか。

ここは信濃川の河口、港の奥には、寅さんも歩いた万代橋が見えている。
フェリーの横を漁船らしい船が走っていた。
■ 矢島・経島
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寅さんとはるみを乗せた漁船は、矢島と経島にかかる赤
いアーチ橋をくぐって、港へ入ってくる。寅さんは船酔
いでふらふら。
はるみが、「きれいなところね」と京なまりで言う。
アーチ橋から中に入ると波もなく穏やかで、海は青く澄
んでいる。
ここには、観光用のたらい舟がある。菅笠にかすりの着
物姿の女性が、たくみに櫓を使って、岸から赤いアーチ
橋のあたりまで漕ぎ出す。 |
■ 宿根木 関連ページ小木町/宿根木
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宿根木のおばあちゃん一人で切り盛りしている「田
吾作」という民宿に、寅さんとはるみは泊まる。
寅さんは自分が何者であるかしゃべるが、寅さんは
はるみの素性を聞こうとはしない。これが、寅さん
のやさしさ。
お酒を飲みながら二人で歌うのが、「矢切の渡し」
寅さんは、はるみの歌のうまさに「銭がとれるよ」
とほめる。
宿根木は、1991年に重要伝統的建造物群保存地
区に指定されたが、そのためか、ロケ当時に比べ、
建物の外壁がきれいになりすぎていた。 |
■ 沢崎鼻
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宿根木の民宿に泊まった翌日、寅さんとはるみは海岸を散歩する。散歩道にはキバナカンゾウの花が咲いている。
二人は、磯遊びではしゃぐ。そして、はるみが佐渡おけさを歌い、寅さんが合いの手を入れる。
寅さんは左手の崖の上に座り、はるみは向こう岸に立って、こちら岸にいる地元の人たちといっしょに歌う。
ロケ地は佐渡の最南端・沢崎鼻。海底火山の溶岩が噴出して固まった岩は歩きにくい。岬には、昭和3年建造の灯台が立っている。 |
はるみ 「寅さん、いつもこんな風に旅してんの」
寅さん 「おぉ、風の吹くまま気の向くまま、好きなところへ
旅してんのよ。まぁ、銭になんねぇのが玉にキズだ
けどな」
はるみ 「そんな人生もあるのね。あしたは何をするか、あす
にならなきゃ決まらないなんて、いいだろな」 |

はるみはこのキバナカンゾウ
の花を持って「砂山」を歌う。
壁紙 大野亀のキバナカンゾウ |
■ 小木港
寅さんとはるみが、小木港の食堂でビールを飲みながら、これからどうするか相談をしているところへ、
プロダクションの社長ご一行が現れる。明日の博多公演に間に合うよう、今日中に東京に帰ってほしい
と説得され、はるみは寅さんと別れる。寅さんは、うっかりして、自分も乗るはずだった船を見送る。

山本屋。室内シーンはセットで撮影されたようだ はるみがのぞいた窓。
当時は手前に建物がなく、窓からフェリー発着場が見渡せた。
佐渡汽船フェリーの発着場は、東側の新しい埠頭へ移動していた。
山本屋をたずねると奥さんが出てきた。
「ここはロケに使われた店ですね」と話しかけると、ロケ当時のことを色々と話してくれた。
「渥美清さんは、あまりまわりの人と話をしなかった」
「歩くのがきつそうで、少しの距離も車で移動していました」
亡くなる10数年前であるが、この頃から体調が悪かったのだろうか。
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