眼鏡橋巡礼フォトギャラリー(9) 鹿児島五石橋



1996年2月21日、西田橋は死んだ。
鹿児島市を流れる甲突川(こうつきがわ)には、わが国石橋文化の華と言われた五石橋が架かっていた。江戸末期の1840年代、肥後の種山村から招かれた岩永三五郎が設計したものである。武之橋と新上橋(しんかんばし)は上流の乱開発による水害で1993年8月に倒壊したが、高麗橋、西田橋、玉江橋の3橋は市民の反対を押し切って強引に撤去された。

長い時の流れを蓄積してきた眼鏡橋が死ぬと、歴史をはぐくんだ景観も死ぬ。歴史を踏みにじった町は無味乾燥になり、むなしい時が流れてゆく。一度死んだ景観を生き返らせることは難しく、たとえ景観を復元できたとしても、それは歴史の深みのない張りぼてのようなものでしかない。五石橋が消えた今、甲突川はさぞ殺風景だろう。

ここに掲載した写真(下流から順に掲載)は、五石橋がまだ健在だった1992年7月24日〜25日、武之橋と新上橋が倒壊した2か月後の1993年10月18日に撮影したものである。高麗橋、西田橋、玉江橋は石橋記念公園に移築されているが、五石橋が生きている姿は写真でしか見ることが出来ない。

■武之橋 1848年/71m/5連
 

武之橋からは桜島が見えた。

倒壊し無惨な姿の武之橋。

 

■高麗橋 1847年/55m/4連
 

斜光線にアーチが浮かび上がる。

曇り日、朝のラッシュ、車の列。









 

■西田橋 1846年/50m/4連
 

夕陽に染まる宝珠のある欄干。

五石橋で唯一の県指定文化財だった。






 

■新上橋 1845年/47m/4連
 

日豊本線の鉄橋付近に架かっていた新上橋。






 

流失した橋のむこうをにちりんがゆく。

■玉江橋 1849年/51m/4連
 

1992年7月25日、南国の強い陽射しに美しく輝いていた。